ご訪問ありがとうございます。筆者のどかです。
コロナ禍のさなかに会えないでいたおばあちゃんが天国へ旅立ちました。
88歳の米寿を迎えた4ヶ月後のことでした。
とつぜんの別れ
その日とつぜん夜に知らせを受けて、私は急いで荷物をまとめました。
長崎に住むおばあちゃんちまで天草からフェリーで出ます。
翌日、幸いにも何の規制も無かったタイミングでしたので、私はフェリーに乗ることができました。
あとはバスで向かうという事になりました。
どんなときも涙がこみ上げて、ひたすら早く近くに行きたい一心でした。
バス停に着いた時、ホームには私1人だけでした。
近くにピアノが設置されているターミナルへ着きました。
ピアノを気にも留めず、誰にも気づかれないよう静かに泣きました。
するととつぜんピアノのほうへ1人の青年が歩いて向かうのが見えました。
そして…、ゆっくりと演奏し始めたのです。
楽譜を見ずに、30分ほど綺麗なバラードを演奏されていました。
私はとつぜんの演奏に驚きましたが、席を変えずに黙って聞いていました。急に離れても失礼だと思ったからです。
しかしとても拍手を送るような気分では無かったので黙ってうつむいていました。
いつの間にか涙が落ち着いていた私はコーヒーを買いに席を立ちました。
コーヒー片手に席へ戻ると演奏は終わっていて、彼はいなくなっていました。
気づいてくださって、なぐさめてくださったんだろうかと不思議な気持ちでした。
世の中、知らない人にも寄り添う人が、いらっしゃるんですね。
(ピアノのお兄さん、ありがとう。)
対面
おばちゃん家に着くと、奥の部屋で安置されているとのことで対面となりました。
いつも『来たとね~』と言ってくださっていた声は、ありません。
数年ぶりの再会でした。おばあちゃん…。このような気持ちは初めてでした。
私は不謹慎なのだろうかと思ったほど、おばあちゃんは、とても安らかなお顔で眠っていると思いました。
本当に綺麗な寝顔だったのです。
対面してから不思議なほど涙が収まり、その場の全員が穏やかに過ごしていました。
今にも起きてきて「来たとね~」と、いつもみたいに温かいまなざしで話しだすのではないかと思うほど、安らかなお顔でした。
その晩は、みんなでアルバムを見ながら、昔のおばあちゃんの話などを聞かせて頂きました。
地震が起きた日
通夜の日、おばあちゃんは何十年も住んだ家を離れ、通夜と葬儀を行うための会場へ移動しました。
その場にいた全員で、家から出発するおばあちゃんを見送りました。
おばあちゃんは生前いつも外に出て最後まで手を振って見送ってくださるかたでした。
ご家族に葬儀社務めのかたがいらっしゃったので、安心して頼ることが出来ました。
通夜が終わると、その晩は葬儀場の施設内に泊まることが決まっていました。
明日1月22日は葬儀の日。緊張でご家族も寝つけなかったようでした。
それでも…うつらうつらとし始めた夜中ごろ、とつぜんスマホたちが「地震です!地震です!」と鳴り響いたのです。
やがて横にゆらゆらと揺れました。
私と母親は急いで飛び起きて、血の気が引く思いでおばあちゃんが安置されている会場へ走りました。
すると…会場には、いとこの1人が、誰より早く駆けつけて、お棺を支えてくれていたのでした。
いとこSちゃんの感謝
怖かった地震も、Sちゃんの支えのおかげで安心しました。
翌朝まで、おばちゃんのお棺を徹夜で支えてくれてました。
いとこのSちゃんは、長年…いわゆる引きこもりの人で本家であるおばちゃん家で長い間おばちゃんと住んでいました。
…ずっと心配ばかりかけたと思っているようでした。
おばあちゃんが家で倒れていた時は、誰よりも先に発見したのが同居していたSちゃんでした。
いち早く家族に連絡して、それからずっとおばちゃんのそばに居てくれたのもSちゃんです。
引きこもりは現代病で理解出来る人は多くなっていますが、昔ながらの田舎となると、まだ意思疎通が難しい場合が多いです。
私も引きこもり経験がありましたので、Sちゃんの心境が痛いほどわかりました。血筋で似ているのでしょうか。
今回私は、子供の頃一緒に遊んだ以来、30年ぶりくらいにSちゃんの近くにいました。
Sちゃんの心境の変化にふれることが出来て、内心嬉しい気持ちがありました。
その後、心配していた余震も起きず、最後まで涙が止まらないまま無事に葬儀が終了しました。
本家のかたたちとも別れ、とぼとぼ帰路につきました。
心から感謝しています
おばあちゃん、どこか品があり、本当に家族思いな人でした。
私が思春期で荒れている時…親も頼れずひたすらイライラしていた時…
「気持ちを言ってよかとよ。」「私だって、あの性格に腹立つ時がある。」…と声をかけてくださったこと、覚えていらっしゃいますか?
私は忘れていません。なぜなら話してもいなかったのに、そのように気持ちを読み取り共感してくれた大人に会ったことが初めてで驚いたからです。
あの時は苦しみに気がついてくれて、本当にありがとうございました。
その後も様子を見に来てくださったこと、とても嬉しかったです。
こんなに大人になっても、長い間あの日の一言に救われています。本当に偉大なおばあちゃんです。
おばあちゃんの丁寧な生きかたは、これから道しるべになります。きっと家族みんな同じ気持ちです。
詩を書く
『涙のマグマ』 それはとつぜん噴火のごとく 地下を流れていたはずの マグマがとつぜんこみ上げて あふれだす 私の中の涙のマグマ 何度も何度もこみ上げて タガがはずれて涙があふれる マグマで焼けた 心がヒリヒリと痛みだす 冷たく固い心の地層を ゴゴゴとあつい 涙のマグマがこみ上げる こんなにとつぜん別れは来る こんなにとつぜん人は泣く そしてそのうち泣き疲れ とぼとぼ歩いて つまずきながら 明日のことを考える 道にはタンポポが咲いていた